ブッダが説かれた教えの中に「筏(いかだ)にたとえられる教え」というものがあります。一言で言ってしまえば、筏は渡るためにあるのであって、いつまでも大事に持ち運ぶためにあるのではないということです。
(筏のたとえの要約)
長い道のりを旅している人の前に、大きな川が現れた。こちら岸は危険で恐ろしく、向こう岸は安全だ。何とかして向こう岸に渡らなくてはならないが、船も橋もないので、旅人は自分で筏を作り、向こう岸に渡ることが出来た。そして彼はこう考えた。「この筏のおかげで、安全にこちらの岸へ渡ることが出来た。これは大切な筏だから、大事に持ち運んで旅をつづけよう」と。
そこでブッダは弟子たちに「あなたたちはこれをどう思うか。この人はその筏についてなすべきことをなす人であろうか」と問いかけると、弟子たちは「そうではありません」と答える。
ブッダは説かれる。「この筏によって安全に渡ることが出来た。大変役に立ったが、この先は不要である。この筏を陸に引き上げて、あるいは水に浸して捨てていき、次なる場所へ旅をつづけよう。」と考える人が筏についてなすべきことをなす人であろう。あなたたちは、自分の役に立った正しい教えですら、時がくれば捨て去るべきである。もしそれが誤った教えであれば、なおさらである。
私たちは、自分が尊敬する人、正しいと思う人の言葉や行動は正しいと思ってしまいます。まして、それにしたがって今まで自分が行動してきていたら、それは絶対に正しいものとしてしがみつき、離しません。
時代が変わったり、自分の置かれている状況が変わったら、いくら過去には正しくて自分の役に立ったものであっても、捨てていかなければならないものがあります。執着は苦しみを生みます。
お彼岸はまさに向こう岸に渡るための勉強期間です。お寺にお参りしてみませんか。
3月21日(土)13時~15時30分頃
3月22日(日)13時~15時30分頃
両日ともに勤行の後、法話があります。
社会情勢により予定が変更になる可能性があります。
権力や金で人を支配できることを知った人は、それを求め、手に入れたら離そうとはしません。人を支配し、コントロールしていることを自覚しているならば、まだ救いはありますが、この世の中にはそれを正当化し、当然の如く思わせてしまう考え方があふれています。
その考え方は一般的には良いことだと思われているため、自分が権力にしがみつき、行使していることに気が付いていない人が多いようです。また、これは年齢にも関係ないようで、むしろ、歳を取ってからの方がひどくなるのかもしれません。私の周りにもなんと多いことか。
ああ、他人を批判している場合ではないですね。
私も「親」という立場を使って、子どもに同じようなことをしています。
恐ろしや恐ろしや。
1日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
8日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
11日(水)預流(よる)の集い 13時~ 話し合い法座
15日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
19日(木)仏教入門(一緒に学んで楽しい仏教)13時~ 初めから学ぶ正信偈 第14回
22日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
25日(水) 歎異抄 13時~ 親鸞聖人に導かれて生きる
29日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
日曜礼拝・預流の集い・歎異抄のオンライン配信あります。限定公開なのでご希望の方はご連絡ください。
先日、安住さんがTV番組の中で「年齢と幸福度のU字カーブ」の話題について触れておられました。「幸せのU字カーブ」とは、世界145カ国を対象に調査を行ったところ、幸福度と年齢の関係がおおむねU字形になり、幸福度が最も低くなる年齢の平均値は48.3歳、日本においては49~50歳が最も低かった、というものです。こういうカーブを描く理由は色々考えられますが、一般的には理想と現実のギャップの影響が大きいように言われます。若いときには、自分は何でもできるような感覚があり、将来に対しても楽観的に考えて今を楽しんでいますが、ちょうど50歳くらいで自分の現実、社会の現実を痛感し将来を悲観的に感じてしまう。それを過ぎると将来に対する理想が下がってくるので、現実とのギャップが少なくなり、今に満足できるようになると分析されています。
別の研究では、このカーブは所得水準によって違ったものになり、高所得者は50歳近辺になっても幸福度は下がらず、なだらかに上昇し続けるというものもあります。
いずれも説得力がありますが、幸福は金次第と言われても悲しいので、僧侶としては「自分の気持ちの持ち方ひとつで幸福になれる」と言いたいですね。
しかしもっと悲しいのは、安住さんがその話題のまとめで良いことをおっしゃっておられたのですが、数時間後に思い出そうとしたら、全く思い出せなかったということです。
1日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
8日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
11日(水)預流(よる)の集い 13時~ 話し合い法座
15日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
19日(木)仏教入門(一緒に学んで楽しい仏教)13時~ 初めから学ぶ正信偈 第13回
22日(日)日曜礼拝 お勤め 瞑想 法話 各自感話 8時~
25日(水) 歎異抄 13時~ 親鸞聖人に導かれて生きる
日曜礼拝・預流の集い・歎異抄のライブ配信があります。限定公開なのでご希望の方はご連絡ください。
「死すべき身なのに、なぜ浄土往生を願わないのか」・・・お釈迦さま
どうして人々は、各自が健やかな間に、浄土に往生することを願わないのであろうか。
そうすれば、とこしえにつきないいのちが恵まれるであろうに。
なぜ、道を求めないのだろうか。何を期待して生きているのだろうか。
いったい、どういう楽しみを欲しているのであろうか。
(浄土真宗 聖典 勤行集P170―4 仏説無量寿経)
「宗教の役割、寺院、僧侶の役割は何だろうか」
信心いただいても、老いは来ます、病気にもなります、死も来ます。
でも信心頂ければ、苦しみが減ります、やすらぎます、それが信心の醍醐味(本当の面白さ、深い味わい)です
生まれたら老いて、病んで、必ず死は来る。無常の法則です。
どうして本当の安らぎ、真実、生きがい、よりどころを求めないのだろうか。
現在伝統宗教は形骸化しています。
形も儀礼も大事です。尊いです。
もう一歩内容、教えを味わい、実践してみませんか。
「自分の生きがい、拠り所を持っていますか」拠り所を何に持つかを共に学んでみませんか。
目的 生きがい、よりどころを持ち、浄土への道を歩む。
儀礼、理論、実践すべてそろっています。
内容 作法(儀礼、読経)
教義(教え、理論)
実践(拠り所を持つ)
お勤め 瞑想 法話 参加者感話
毎週日曜日朝8時~9時頃
仏教を聞いていくと、見る風景がガラッと全く違うものに変わってくる。
今まで当たり前と思っていた日常が、有り難いものに変わっていく。
一つの事実に対していろんな見方、見え方がある。見えなかったものが見えてくる。
読み方と内容を味わう。教義を学ぶ。仏教、真宗の教義、理論を学ぶ。
初めての方にもわかるようにていねいに、お伝えします。
「善人なほもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや。」
この言葉は教科書で読んだ方も多いと思います。
常識的な道徳観では理解できない逆説をどう考えるか。
そして優しく、厳しい言葉。
人生に行き詰まった時、人生の指南書のように読まれた仏教書。
仏教の枠を超えて、人々の心をとらえ続ける親鸞聖人の人間的魅力はどこにあるのだろう。
親鸞聖人の死後弟子の唯円が元々の教えとは異なる説が広まっている現状を歎き、生前直接聞かされた言葉を書き記した書。
預流(よる)とは、流れに預かる、つまり一歩足を踏み込むということです。
お寺に行く、法座に参加するというだけで、仏教の流れの中に入っている。
”仏さまのいのち”が還元してきている。
そのなかでの話し合い法座です。
例)コロナ時代における仏教徒。
最初に仏法をお話しして、各自、テーマに沿って発言。
仏教の実践になります。醍醐味=深い味わい、おもしろみがあります。
法友とは阿弥陀如来、仏法を中心に生活をしている友。
コロナ禍の中で人との距離を取る時代、心のつながりを大切にする集い。
例)色々な飾り物、実用品など物を作る、絵手紙、旅行、体操、ゲームなど。


岡崎 西光寺
〒444-2133 岡崎市井ノ口町片坂46番地
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