報恩講 2018

12月1日、2日と報恩講が勤まりました。例年になく暖かい2日間でした。ようこそお参りくださいまして、ありがとうございました。

1日は作曲家の平田聖子先生をお迎えしての音楽法要です。本山の宗祖降誕会で用いられている音楽法要と聖子さんが作曲した親鸞聖人のご和讃を組み合わせたもので、聖子さんのピアノとお嬢さんのフルートの生演奏です。

聖子さんのメロディーに乗せてご和讃を歌うと、普段とは全く違った勢いで阿弥陀さまの声が心に響いてきます。ずいぶん昔になりますが、初めて聞いたときには自然と涙が溢れてきました。特に、♪~なもあみだ~♪と念仏を繰り返すところは、まさに声の仏さまとなられた阿弥陀さまが私のところに来てくださっていることを感じます。

さらにピアノとフルートの演奏が荘厳な響きを与えてくださっていて、最高の宗教音楽です。ただ残念なことは、導師である私の歌唱力が無さ過ぎて、その素晴らしさを伝えきれないところです。3年前に愛知県芸術劇場の大ホールで行われた聖子さんのコンサートに300人の合唱団の一員として参加させていただいたのですが、あの時の感動をお参りの方々にも伝えたいなあという思いはあるのですけどね・・・。

法要に引き続き、講話をいただきました。ところどころ歌を交えながら、作曲したご和讃のお味わいをお話しくださいました。皆さん熱心に聞いておられます。

初日の休憩のおやつは、前日についたお餅の入ったおしるこです。おしるこも美味しいですが、手作りの漬物も大好評です。

2日目のご講師は、以前名古屋別院の輪番をされていた時からお越しいただいている菅原良成師です。お話を伺っているといつもハッと気づかされることが多いのですが、今回は、いかに自分が自分の頭でだけ考えているのかということを教えていただきました。

自分の理解できること・認識できること以外は、ないと思い込んでいる。それが迷信であったり自分の思い込みであったりしても、それが当たり前と思い込んでいて、本当の意味は考えようともしないし、気付きもしない。その事に気付かせてくれるのが仏さまの教えで、だから仏さまの教えを聞くと耳が痛いのだと。自分の心や自分が何者であるかということですら、自分では直接見ることも声を聞くこともできないことも改めて気付かされました。

「報」という漢字には「しらせる」という意味があることを教えていただけたのもありがたいことでした。今までは「報恩講」を、御開山である親鸞聖人の「ご恩」に「報いる」法要と思い込んでいて、親鸞聖人が生涯をかけて明らかにしてくださった仏さまのみ教えを、たくさんの人に「報せる」為の法要だという意味を見落としていました。伝道という言葉がしっくりときました。

報恩講 お斎

2日目のお斎(とき)です。ポテトサラダはサツマイモです。芋やほうれん草、人参、大根など、ご近所の方の畑で採れたものばかりです。小鉢のものは自由に取っていただけます。赤味噌が苦手な方もおられるため、みそ汁は赤味噌と合わせ味噌の2種類を用意しています。どれも本当に美味しいので、お参りに来られた際には是非召し上がっていただきたいと思います。

総料理長を筆頭に朝早くから準備してくださいます。午前中はいい匂いに包まれて、早くからお腹が空いてきますね。

菜飯に使う大根の葉を炒めてるところ。手間は惜しみません。

おこつぼさん作りの様子。お餅をくり抜く道具は特注品です。この後、色付けして尊前にお供えします。