額田組団参 御正忌報恩講 番外編

報恩講 供物 千盛饅頭

 

報恩講 供物 銀杏 州浜

御影堂と阿弥陀堂の間の渡り廊下にお供物の実物が展示してありました。写真では見たことがありましたが、実物の大きさに圧倒されました。写真では分かりにくいですが、この千盛饅頭の高さは110㎝ほど、銀杏と州浜は供笥(くげ:下の台)を除いて50㎝ほどあるそうです。

 

隣にあったお供物の解説がとても参考になったので載せます。

「供物は、元来仏・法・僧の三方に捧げて供養する物の総称で、華・香・灯・飯食(ぼんじき)あるいは伎楽(ぎがく)なども含まれます。つまり広い意味では仏堂内において行われる法会(ほうえ)での荘厳・諷経(ふぎん)・讃唄(さんばい)のすべてを指すと思われますが、後世になり尊前にお供えする餅・菓子・果物などを指すようになりました。本願寺では、御正忌報恩講法要においては、御真影様(ごしんねいさま)の御前に十具(十対)の供物を、内側より彩色餅・白雪香・山吹・州浜・蜜柑・紅梅糖・松風・紅餅・銀杏・千盛饅頭の順にお供えいたします。供物を盛るものには、供笥(くげ)・鏡台・雲脚台などがあり、御正忌報恩講法要においては、極彩色の供笥が用いられています。」

 

また、阿弥陀堂では現在、内陣の格天井(ごうてんじょう)の天井画を修復中ということでその実物が展示されていました。

阿弥陀堂 天井画 波しぶき

 

 

 

 

右側が修復前ですが、修復前と後でほとんど変わりません。新しい色を塗るのではなく、そのままの色を残しつつ傷んだところを修復して次世代につなげていくということが大事なんですね。

阿弥陀堂 天井画 七宝紋

内陣の天井画が七宝文(しっぽうもん)で余間が波しぶきだそうです。

ここでも掲げられてた解説を載せます。

「≪波しぶき ~迷いの海とさとりの海~≫

親鸞聖人はご著書の中で「海」という言葉を「衆生(私たち)の世界」と「仏の世界」という全く相反する意味の比喩として用いられます。「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し」と、自らの自己中心的な煩悩を深く受け止め、嘆かれる一方で、「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念の難思の法海に流す。」と、自身の思いは、すでに仏のはたらきの海の中にあることを慶ばれています。大自然の中で、海が猛威と穏やかさの二面性を併せ持っているように、荒々しい私の心であっても、すでに仏の心につつまれていることを、ゆっくりと仏前で手を合わせ、見つめてみてはどうでしょうか。

 

≪七宝文 ~連鎖し広がる文様とご縁~≫

釈尊は「仏説無量寿経」で、浄土を飾る七つの宝石(金、銀、水晶、真珠など)のことを「七宝」と説かれています。一方で、内陣天井画の文様も「七宝文」といい、周囲の円形を重ね合わせて繋げた文様は「七宝つなぎ」と呼ばれます。文様としての七宝と、経典に説かれる七宝の関係性は定かではありません。もしかすると、昔の人は、円形が無限に繋がっていく文様を、ご縁が広がっていく様子に見立てたのかもしれません。」

 

 

 

この解説を読んで気付かされたのは、「本山のお供えはでかいなあ」とか「天井画が立派だなあ」という感想だけで終わってはいけないなということです。お供え物や天井画に限らずあらゆるものが、私を導き、自分の真実の姿に目覚めさせる為の、仏さまや親鸞聖人・先人方からのメッセージとして受け取らなければ、折角の御正忌報恩講のご縁が無駄に終わってしまいます。